一日三食の文化は鎌倉時代から始まった? 唐に留学した僧たちから日本に伝達

現代では、一日三食を食べるのが当たり前になっています。実は、この文化は鎌倉時代に日本に伝わったといわれています。鎌倉時代は、唐(中国)への留学がさかんに行われましたが、そこで学んだ僧たちが、一日三食やお茶の文化を持ち帰ってきたそうです。さらに、馬や牛、水車の利用によって米の生産量が増加し、米を作らない時期には麦が栽培される二毛作が始まったとされています。

古代の日本では、朝起きてから狩りに出かけ、午前10時ごろに食事を取るという一日一食のスタイルでしたが、奈良時代や平安時代になると朝食は正午ごろ、夕食は4時ごろの一日二食のスタイルになりました。そして、鎌倉時代になると、大陸での一日三食の伝統を持ち帰ってきた僧たちを筆頭に、次第に公家にも伝わっていきました。この習慣が庶民に定着するのは、江戸時代になってからですが、現代の食生活の基盤がこの時代には始まっていたのです。

ちなみに、僧たちが一日三食を食べていたころ、武士たちは一日二食でした。二食ではお腹がすくため、その合間に軽食を取っており、重宝したのが握り飯でした。1221年の承久の乱では、梅干しの入った握り飯が配られていたという記述が残っています。それ以降、握り飯に梅干しという日本人の定番が広まっていきました。梅干しの他に、にぼしやかつお、味噌なども具材として使われていたそうです。

また、この時期にお茶の文化も伝わってきました。当時のお茶は、粒子の粗い抹茶のようなもので、やがて茶臼で粒子の細かい抹茶をつくることができるようになると「茶の湯」が流行しました。なお、庶民が茶葉を煮出して番茶に近いものを飲むようになったのは、江戸時になってからです。(監修:健康管理士一般指導員)


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