江戸時代の食生活と健康について学ぼう

時代と共に日本人の食生活は大きく変わり、それにともない患う病気も変化してきました。今回は、大河ドラマでも話題の徳川家康が天下を統一した江戸時代の食生活と健康について見ていきたいと思います。江戸時代は、武士や貴族たちの生活が庶民にも広がって、一日三食の食生活が定着しました。その背景には、菜種油が安く大量に生産できるようになり、行灯を使うことで夜遅くまで活動できるようになったことが影響しているといわれています。

米の生産では、新田開発が進んだことで生産量が増え、千歯こきで効率よく脱穀できるようになりました。水車や足踏み式の石臼を使うことで精白効率が上がり、江戸では庶民でも日常的に白米が食べられるようになりました。その結果、裕福な貴族だけがかかる病気とされてきた脚気が、庶民にも流行していったそうです。

しかし、地方では玄米を食べるのが主流だったため、江戸に来ると発症し、地方に戻ると治るということから「江戸わずらい」と呼ばれていたのだとか。それもそのはず、当時は、脚気がビタミンB1不足で起こる病気だということはまだ解明されていなかったわけですから。

江戸時代の人々は、白米を1日5合も食べていたといわれており、朝食はごはんとみそ汁と漬物、昼食はごはんとみそ汁に魚や肉、野菜など、夜はお茶漬けに漬物といったように、ごはんの比重がとても多かったようです。現代人は、三食の主食を白米にしたとしても1日1~2合程度であり、最近はパンや麺を主食にする人も増えているので、米の消費量はもっと少なくなってきています。

江戸時代の平均寿命は短く、男性が27.8歳、女性が28.6歳程度とされています。ただ、これは乳児死亡率が高かったことが影響しており、20歳以上で見ると、男性61.4歳、女性60.3歳まで高まります。当時は出産で命を落とす妊産婦も多かったため、平均寿命が女性のほうがやや短かったと考えられています。

また江戸時代には、健康法を解説した養生書が人気になり、100種類以上も制作されたのだとか。特に、貝原益軒の8巻からなる「養生訓」が人気を集め、総論、飲食、茶、入浴、薬、高齢者の生活などのテーマごとにまとめられていたとのこと。自分なりの楽しみをもって生活することが大切という精神を基本とし、夕食は簡素にして旬のものを食べることや腹八分目など、現代にも受け継がれている健康法が記載されていたそうです。(監修:健康管理士一般指導員)


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